アイヌと僕と。
おはようございます。
昨日、ゼミの巡見がありました。
三年生を中心に企画してもらい、僕はそれに便乗するだけでした。
本当にありがとう。
僕のゼミは、日本経済史を専門としています。
4年生8人、3年生6人、留学生1人の計15名です。
それに加えて、院生が何人かいます。
今回の巡見は高校の教員をしながら大学院で勉強されている方のアドバイスのもと、組まれました。
最初は平取町アイヌ民族博物館、資料館、そして平取温泉ゆから。
後半は新冠町に移動し、馬の見学。
平取は4回目ぐらいですが、新冠は初めてでした。
今回の巡見で、一番考えたことは「マイノリティはどうあるべきなのか」ということです。
上の写真は博物館の館内を写しています。
非常に落ち着いた雰囲気でして、展示、解説共に充実していました。
(ここに入るのは若者会議で企画して以来、一年半ぶりのことです。)
前回訪れた時は純粋に、アイヌってこんな生活をしていたんだあ!ということを思っていました。
ただ今回は、こうして日本人(和人)がアイヌを併合し、抑圧、同質化した結果、こうしてショーケースにいれられ、僕等が「学ぶもの」として存在してしまっているのだなあ、ということを考えていました。
もし、北海道開拓時代、アイヌを日本に組み入れることができずに、負けていたら。
とか。
もし、韓国(朝鮮)を併合していたことが継続していたら。
とか。
僕等(日本人)が博物館のショーケースに展示される可能性は0ではなかったはずです。
こうした父権主義的な行為は果たして正しいのでしょうか。
決して否定しているわけではないですが、少なくとも日本には父権主義的な傾向がマイノリティに対して強いと感じます。
これが日本の文化、慣習であることは否定はしませんし、そうだとも思います。
ただ少なくとも自覚的でありたい。
博物館のあとに資料館にいきました。
そこで展示されていたのは、世界の少数民族の写真でした。
「おー、こういう生活しているのか(僕にはできない)」という、どこか今の自分の生活が進んでいて、彼等が劣っているかのような感覚を持ってしまいました。
正直、悔しいですけど、しょうがないです。(笑)
ただ、この気づきを得れたことは、大きいのかなと。
そんな巡見でした。
新冠、打ち上げは純粋に楽しんでました(笑)
打ち上げ後の都ぞ弥生は最高ですわ。
てへ。
2016.04.24
こばやし