新宿
高校時代三年間過ごした街・新宿。
副都心線が開通しなければ、僕は新宿で高校時代を送ることはなかった。
副都心線が開通したのが2008年だから、当時中学二年生だった僕らの年代は副都心線開通によって、新宿高校という選択肢が生まれたという人は少なくはないと思う。
副都心線は池袋、新宿、原宿、渋谷、そして最近では横浜まで通じるようになった。
ただ僕の地元の氷川台、平和台あたりは未だに閑散としていて、どこか埼玉県のような雰囲気がする。
埼玉を悪く言っているわけではないけれどさ。
母校新宿高校は新宿御苑のすぐ隣にあって、向かいは映画館という好立地。
まあ大通りを挟んで向かいだから行きにくいといえば行きにくいのだけれども。
一方で繁華街からは少しばかり離れていて、新宿御苑の静けさと大都会のうるささを足して二で割ったような環境だった。
そんなところにいたので、いわゆる新宿というとイメージされる繁華街とは親しいというわけではなかった。
そりゃ、歌舞伎町と言われると、酒臭いおじさんとか、誰かしらに絡まれそうで、少々の怖さがいつもついて回った。
歌舞伎町=近づきたくない、こんな図式が自然とできあがっていた。
といっても新宿のごちゃごちゃした感じいつもそばにあったのではないかと思う。
今は見かけないけれども御苑の前とかにはホームレスの方がたくさんいたし、高校の文化祭にどこからか女装した人が入って来たり、気が付くと高校のセキュリティーが厳しくなっていたり。
自分の記憶しかないからこれが当たり前だと思ってしまうけれど、一般的な高校とはどこか違った環境にいたのかもしれない、と今では思う。
『言の葉の庭』では新宿御苑を中心に美しく描かれていて、新宿っていいなって思った。
ただ新宿という街自体は江戸時代に交通の要所となり、人の往来が盛んになっていた中で繁栄してきた街。
ある意味で札幌のように、ここは防火のために公園を作って、こっち側には道庁、あっちは繁華街、というように人工的に作られてはいない。
そのいみでは自然な街。
新宿駅の東南口から歌舞伎町の方へと歩いていた。
最初は高校生からいろんな普通の人達がいた。
そこから歌舞伎町に行った。
まず初めに思うのは、観光客が多いということ。
ここ歌舞伎町は数年で道路を整備したり、入りやすい街になった。
ロボットレストランの前には欧米人がたくさんいて、世界の「トウキョウ」はこのシーンで語られるのかもしれないなと思う。
チョンマゲの国だったのに、いまやSF国なのか。
武士がいると思っていた人にはどこか申し訳ない。
華々しい通りとは一本隔てた、チョイ裏の道。
晴れ晴れしい表通りとは違って、淡々としたリズムを感じる裏通り。
深日常とか超日常とか呼びたくなる。
赤だったり、青だったり、普段見ないような作られた色。
都会はつくられたものばかりで囲まれているけれども、その合間合間に落書きであったり、誰かが遊びで書いたんだろうなと想像したりするのは面白い。
新宿にはいろんな人がいる。
学生ももちろんたくさんいるし、会社帰りの人も、想像がつかないような人も。
実はたくさんの人がすぐ目の前にいたかと思うと、ひとりひとり話をしてみたかったりする。
もし百人に新宿とはどういう街ですかと聞いたら、百通りの答えが返ってくると思う。
人それぞれに違った新宿があって、違った社会があって違った世界がある刺激的な街。
そしてなにより懐が深いのがこの街の良いところ。
ただ懐が深いのは街であって人ではない。
集合体になるとどこか冷たい。
そう書く僕もその一部。
「2020年」がひとつのシグナルを発している昨今。
これから街は変わり続けていくのだろうとまざまざと感じた。
どこか整然としてきれいな街ではなくて、この煩雑さを残しながらつくっていくのはかなり難しいことだと思う。
これからこの街はどう変わっていくんだろう。
考えるだけでわくわくするし、その分、いまその時のために記録をとっておきたい。
やっぱ東京からは離れられないんだよな。
2016.10.28
こばやし