始まる予感、始まるよ感。
■日の出とともに目が覚める。
おはようございます。
今日は久しぶりに4時半に起きました。まあいつも5時には起きています。
大学生は夜遅くに寝て、10時とか11時に起きる。
一限には出ずに家でぐ~たらする日々。
これはこれでアリだと思います。
前の自分もそんな感じになりかけた時期もあります。
でも最近は朝早く起きてしまうのです。
(なんか高齢者っぽい生活になりつつあって、それはそれで自分が心配です笑)
今回は朝早くおきることについて一考します
■朝の柔らかさが良いよね。
朝、4時に目覚める。
部屋は陽に照らされ、もえるように赤い。
眼をこすりながら携帯を確認。
夥しい通知の量は僕を現実に連れ戻す。
シャワーでも浴びようかな、と考える。
そうしていると電気ポットが僕を呼んだらしい。
コーヒーでも淹れよう。
コーヒーカップ片手に音楽をかける。
BECK「MORNING PHASE」。
次に僕は本棚へ。
最近、流行りの小説を探すが見当たらない。
流行の小説を諦め村上龍「限りなく透明に近いブルー」を手に取る。
そして僕は南側の大窓を開け、ベランダへ。
ベランダの椅子に腰かけた僕はコーヒーに口をつける。
涼しい爽やかな風に、真っ赤な朝焼けに、最高の朝に、僕は包まれる。
また一日が始める。
朝の一秒と、昼の一秒が同じ単位には感じない。
眼下の住宅街はまだ寝ているようだ。
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以上、妄想です。
「こばやしくんはどんだけ、優雅な朝をすごしてんだよ~」と期待させた方すいません。
携帯の通知とBECK聞いていること、村上龍を読んでいることを除いてはフィクションです。
ただこんな朝を迎えられたら幸せだと思います。(笑)
話はそれますけど
実は夏休みのどっかで小説に近いものが書けたらいいなあ、と思っています。
道東行くときに、この世界観いいね、とか話ながら構想を考えたいです。
Imagination>Knowledge
これは夏休みのコンセプトの一つです。
■ただ早起きは三文の得とは言い得て妙でして、
去年の暮れぐらいまでは超夜型でした。
2時過ぎまでPCをカタカタいわせて、朝目覚めたら時計の針は点を指していたりということもしばしば(ごくまれですけどね)。
ただ三年になってからか、夜型が一周して朝型になりました。
(と書けば格好いいですが、実際はカーテンを開けて寝るせいで日差しが眩しすぎて朝目覚めるのだと思っています。)
朝型にするようになってから、自分の時間で日々を過ごすようになったと感じています。
夜型の自分は毎日見えない何かに追われて、予定、予定、予定、タスク…の日々でした。
今思うと、それはそれで得るものはあったと思います。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、何かしらに必要とされている感覚は当時の僕には必要でした。部活やめた直後でしたし。
ただ今は、(予定もタスクもなんだかんだありますけど)自分の時間に活きているという感覚がしています。
自分で予定決めて、自分でタスクやって。
「決められている」から「決める」に変わりました。
(そもそも「『決めたい』から」ではないところが僕らしいのかな。)
おかげでいろいろと考えるようになりましたけど、悪い意味で盲目的になっているよりはいいのだろうと腑に落としています。
朝早く起きることで良かったことがもう一つあります。
それは「アイディア」が沸くようになったこと。
(それならもっとマシな文章書け、という声が聞こえそうだな)
夜型だったころは、環境の空気に合わせて何をするのか、何を出そうか、考えていたような気がします。
今は、あまり環境の空気は考えずにものを考えられるようになったと思います。
自分のいる社会に構成された枠組みに規定されていたのが外れた感覚を持っています。
まあ、これに関してはもともとそういうだった、という結論になりそうなので、このぐらいに。
■自然ってすばらしい
朝早く起きること。
これってたぶん自然なことだと思います。
数百年前まで、人は陽が昇ったら起きて、陽が沈んだら寝る、という生活をしていました。
今の夜型の生活は不自然なのかもしれませんね。
そんなこんな書きながら、冬は夜型になってるんだろうなあと思っていたりする8月8日の朝でした。
ちなみに普段の朝はBECKではなくColdplayをかけています。
2015.08.08
こばやし