誇りと意地と情熱を。

北大生のブログ。東京出身です。日々の何気ないことから、様々に書き綴ります。

分岐点

挑戦ってなんだろう。

環境を変えることかもしれない

今までやってこなかったことをやってみることかもしれない。

新しく誰かに会うことかもしれない。

もしかしたら、なにかを辞めることかもしれない。

 

今年の前期、自分自身以外にも近い人の大きな挑戦を目の当たりにして、

正直なところ、毎度の事どうしていいのか分からない半年だった。

 

自分がその挑戦に嫉妬してるんじゃないかと思ったりね。

 

札幌にいると、あたらしいことやることが当たり前で、行動すること=素晴らしいこと、手放しで称賛って雰囲気があるけど、

じゃあその相手にかけた言葉に責任が持てるのかと言われれば何も言えないんじゃないのかな。

 

そこまで考えなければいいという意見がほとんどなのだろうけど。

 

言葉って不思議なもので、

前向きな言葉をかけられると明るくなるし、

後ろ向きな言葉をかけられると暗くなる。

 

一言一言に責任を持つのは不可能だし、何に対して責任を持つのか曖昧なことが多いけれど、

ここぞというところでは決めることのできる言葉を持ちたい。

 

さて、明後日から札幌帰る。

一週間ほど札幌には滞在しますが、おそらくそれ以降はあまり戻ってこないんじゃないかと思っているところ。

誰かが「何かを選ぶことは何かを捨てること」だと言ったけれど、それもまた仕方ないのだろうと。

 

ずいぶんと長い間、札幌にいたと感じる

苦しかったこともありますけど、充実した4年間でした。

 

気が付けば音威子府から二年。

あれが無ければ今こうなっていない(あらゆる意味で)と思うと、時間ってあっという間に過ぎていくな。

 

恋に恋する人がたくさんいるように、挑戦に挑戦する人もたくさんいる。

 

自分はなぜ挑戦しようとしているのだろうか。

 

ちゃんと向き合えているのだろうか。

 

もうそろそろ覚悟を決めないと。

 

先月友人の誕生日に渡した色紙に、

「苦を背負い、義を貫け。」

と書いたけれど、何気なく書いた言葉に今になって降りかかってくる。

 

「義」ってなんだよ(笑)

 

2017.08.21

こばやし

雑記0815

「君の膵臓を食べたい」を見て以来、なんとなく恋愛小説を読んでいます。

「美丘」(石田衣良)、「東京タワー」(江國かおり)など。

 

この前読んだ小説の登場人物がこんなことを言ってました。

 

「女性は恋愛小説を読む分、男子よりも恋愛シミュレーションをしてる。だから恋愛上手が多いんだよ。」

 

とても腑に落ちました。

 

たしかに女子の方が恋愛に関するあれこれを話しているし、その分だけ考えているのでしょう。

 

なるほど。

 

この話を考えるたびに、恋愛上手とは?と気になってしまうけど、あまり分解したくない(批難される気がする)ので考えることをやめています。

 

君の膵臓を食べたい(映画)、世界の中心で愛を叫ぶを見た時を思い出す良い作品でした。

行ってない方はぜひ。

 

東京四日目。今日も雨。

今週ずっと雨ってのは本当なんだろうか。

 

Ame。

 

9/30行きたい。

 

2017.08.15

こばやし

雑記0814

毎回書くたびに久しぶりだと思ってしまうのは僕に継続性が無いからでしょうか。

気まぐれなだけなのですが、継続性が美ととらえているうちはまだまだなのかもしれないなと考えている今日この頃です。

 

一昨日あたりから東京に戻ってます。

休学明けてからの五か月(3月、4月、5月、6月、7月)は本当に喜怒哀楽に富む期間でした。

 

今、書いていて総括したいわけではないんだけど、気が付くとあっという間に時間が過ぎているので、こうして振り返る時間は大切にしています。

 

ついこの前、誰かにも話したのですが、信頼と思考力が人の全てなのではないかと考えています。

人とのかかわりあいにおいては信頼。

何を感じれるか、気づけるかも含めた自分自身の能力としての思考力。

 

例えば勉強ができるとか仕事ができるとか、そういうことを目指すのが当たり前の感じを日々肌にしてきたんですが、

そういうのは結局信頼と思考力に帰結できると思うんですよね。

 

そう考えると、成長したいというのは何だろうとふと考えてしまいます。

 

そういえば東京は何気に涼しいです。

今週はずっと雨予報。

 

明日は次の一手に向けて、じりじりと自分に問わなければいけない一日になりそうです。

音威子府でいろいろあってからもうすぐ2年。

たしか19日から24日でイベントをやった気がするんで。

 

この前飲んでて思ったけど、なんだかんだ関わった人達の分岐になっているし、まだどこかにひっかかり続けています。

思い出すたびに、このままでいいのかと自分へ問うてしまいます。

もうひと踏ん張りしよう。

 

2017.08.14

こばやし

久しぶりに文章を書こうと思った。

何事かを報告するため、何事かをアナウンスするためとかではなく、ただ文章を書こうと思った。

 

いつから僕らにとって文章は私的な行為ではなくなってしまったのだろうか。

日記や手紙。

便箋という漢字すら書けるかは危うい。(そういう僕はPCで文章を打っている)

 

文章といえば、誰か公に見られるもの。

FacebookTwitterで書くもの、レポートで書くものとか。

どれもこれも自由に文章を書いている人はなんだかんだ少ないのではないのだろうか。

(レポートで自由に文章が書けるはずはないが)

 

無意識に知らない誰かに配慮したり、その世界のルールにのっとって文章を構成している。

 

文章を書く、言葉を紡ぐという行為はとても創造的な行為だ。

ここしばらくあるルールに則って文章を書いている故にこのことを意識することはない。

繰り返しになるが、それはルールに則れば簡単に文章が書けてしまうからだ。

自由に文章を書いて、と言われて困る人は僕だけではないはずだ。

おそらくインターネットで「●●の書き方」と調べる人が多いのではないだろうか。

 

ある言葉を見て、その人を思い浮かべられる。

そんな言葉の使い方をしたいとずっと思っている。

ただこれがなかなか難しい。

 

こうすればできるというやり方では到底たどり着かないところだからか。

 

いろんなものを見て、聞いて、感じて、その繰り返しでしか精製されないものな気がしている。(特に対人関係においてであろう)

 

とりとめのない文章になってしまった。

最初から何事かを伝えようとか思わないままに書くとこうなってしまうな(笑)

 

美しい文章を書きたい。

美しい言葉を紡ぎたい。

やりたいことだらけである。

 

2017.07.20

こばやし

名づけ

録りためておいた「本日は、お日柄も良く」を見ました。

原田マハの同名小説をドラマ化したもので、政治家のスピーチなどの書く「スピーチライター」にスポットを当てたドラマです。

 

人間とサルの大きな違いは言葉を操るかどうかでそれ以外はたいして変わらないと言われていますが、その言葉について考えていることをつらつらと書きたくなりました。

 

先日のイベントでキャッチコピーをつくったりする中で、言葉とは簡単には扱えないなと実感しました。

例えば「このイベント何するの?」って問いに答えるために「AとBとCとを混ぜた感じ」では到底説明になっていません。

残念なことにそれだけでイベントに来てくれるなら苦労しません。

 

結果として、そういうイベントに来てくれる人達は「○○(人名)がやっているから」という理由で来てくれます。

裏を返せば目的を立てにくいということなのかもしれませんが。

 

イベント自体は多くの人が来てくれて楽しいものになりましたが、自分の力のなさを痛感しました。

 

この試行錯誤の中で考えたことがあります。

 

「共通言語」を探す。

 

言葉ってつまりはこういうことなのかもしれないと。

(特定の場合であり、一般的な事象すべてに当てはまるわけではないが。)

 

60代のおじいちゃんに「ディスる」という言葉が通用ますか?

文化系大学生女子にリーガエスパニョーラの話が通じますか?

たとえは突飛ですけど、まあ一般的には通じないわけですよ。(笑)

 

それは相手がその話・言葉について知らないからであり、至極あたり前なことです。

ただその至極当たり前なことがいざ人に何かを伝えようとするときにはできなくなります。

(僕が口下手ということは置いておいて。)

 

いつか縁日みたいなイベントだ!って言った時がありました。

そしたら「縁日って??」という返事が返ってきました。(笑)

 

相手の前提と自分の前提を同一視してしまうのは悔しいことにほぼ不可避です。

よい教訓になりました。

 

さて、

僕は自分の言葉を持っている人が好きです。

思ったことをそのまま言ってきたり、独特の思考から生み出された言葉を言ってくる人です。

こういう人に極端に惚れやすいですね(笑)

 

そういう人と会うと、自分がどこかで耳にした使いまわされた言葉を使っているなと痛感さあせられると同時に、とても嫉妬します。

そういう人の言葉ってとても響くものがあって、まっすぐなんですよね。

 

人に言葉を残す。

 

とても難しいけど、そういうことができる人でありたいと思っています。

ここらへんもう少し書きたいけど、今日はこの辺で。

 

ですます調か、である調か。

未だに安定しません。

 

2017.06.15

こばやし

RL#01

RebuildingLAB#01が終わった。

みながどう感じたかは分からないけれど、ちゃんと準備してきたイベントの中では一番出したいものを出せたイベントだった。

 

初めて大学に入った時に、部活とサークル以外に選択肢のないという違和感。

いざ部活を辞めて何かをやろうとしてみると、インターンなり、留学なりをすることがすごいと言われる違和感。

 

違和感ずくめの中でとりわけ謎だったのが、学生団体がイベントをやること。

特に札幌でということだけど。

 

僕はある意味でイベントは表現だと思ってる。

手軽に自分達の好きなことや伝えたいことを広めるにはイベントは良いと思う。

 

ただあくまでもそれはきっかけに過ぎなくて、

そのイベントをきっかけにしてどこかへ跳べなければ、本来好きなことにつぎ込めたはずの時間がもったいない。

そんなことを思っている。

 

僕が学生団体をやっていた時期はここの認識が甘かった。

とりあえず何かをやること=良いことみたいな風潮に流されてた。

結果的には自分達のやろうとしていた方面に行く人は多いし、未だに仲良いけれど、

後輩達に残せるほど魅了できるものではなかったと思う。

 

今回、とても久しぶりにイベントをつくったけれど、振り返るといくつかのキーワードにまとめられる。

「非日常」「自由」「同じ」。

 

「イベント=非日常」という構図は前からずっと意識していること。

イベントに行くというのは、来てくれる人にとって一つの意志であり、普通とは異なる一つの行動であるといえる。

その一歩踏み出した先の場所が、ふつうだったら期待外れになってしまう。

その期待にはちゃんと応えなきゃいけない。

 

二つ目は「自由」。

これは今回のイベントの一つの発明だったのではないかと思う。

交流会っぽいのに自己紹介やアイスブレイクといった仕掛けがなく、スタッフがいるはずなのに区別できない。

僕はみながそれぞれ好きなようにできる空間をつくりたかった。

悪く言えばテキトーなんだけど、誰かの意図を感じる場所で会った人とはなかなか仲良くなれないし、目的をもって聞かされた話にはその時こそ感化されるが、どうせすぐ忘れてしまう。

誰かが頭で考えたように、人は動かない。

第二回さっぽろ若者会議で試みようとしたことの反省を今思えば活かしきった気がする。

 

三つ目は「同じ」。

学年が上の人や社会人が話し相手となるとどうしても相手の話を聞くポジションになってしまう。

また、壇上から経験をもって語られるとどうしても納得してしまう。

この、所詮どんぐりの背比べなのだけど、差を大きく感じてしまう空間をどうも好きになれない。(組織的な上下関係とは別の話で)

普段から会っている人が改めて話しをするのは、普段見ない一面が見えて、ピリッとしたりするのだけど、初対面が壇上の人だと、どうもその印象が強く残ってしまい、その後の関係性をつくりにくい。

 

そこで対談という形にしてみた。

ここは当初の意図通りではないけれど、対談だからこそのバチッと決まらないゆるっとした空気感が出せたのではないかと思っている。

細かく振り返れば改善点はあるんだけれど。

 

まあ、つまりは同世代なんだからさっていうフレーズが全てを表現しているのだと思う。

 

 

イベントの終盤の方で自分が喋る時に「問い=違和感」ということを言った。

言いたかったことがどの程度伝わっていたかは分からないけれど、

みなと同じではないことに苦しんでいたり、「何か違うな」と思っている人に届けばよいなと思って行ってみた。

違和感を問いにできたのなら、その問いの答えを探す一歩が踏み出せるはず。

何か行動をしている人って、ただ自分が好きだからやっているという面と、違和感に向かっていくという面の二つがあると思う。後者は「これは違う、正そう」という正義感も含まれる。

 

今改めて言葉にしてみると、

Rebuilding=建て直しという意味にちゃんと近いことをできていた。()

 

やはり頭ではほんの少ししかわかっていない。

イベントの中でも、うまくいかなかったところは中途半端に頭で考えてしまったところだった気がする。

「うまくいかなかった」という意識自体がその要因であるということはあるのかもしれないが。

 

 

 

今回のイベントでの僕の役割は「概念をつくること」の一点だった。

コンセプトというかもしれないけれど、ぼんやりとしたものに言葉をつけていく役割だったから概念ということにした。

 

ただチームの中でちゃんと自分の役割をまっとうできた気はしていない。

言葉にしていくことの難しさを本当に勉強した二か月だった。

チームのみなには概念が固定されない故に迷惑をかけた。(コンテンツ名が二転三転したことも)

そんな中でも楽しく最後を迎えられたのは何より信じてくれたチームのおかげだったと思う。

 

これまで先輩達といることが多かった。

今回、初めて後輩達とチームを組んで、不甲斐ない先輩で申し訳なかったけど、最後ちゃんと形にできて本当によかった。

 

2017.06.13

こばやし

 

3がつ

気が付いたら3月になっていた。

就活が公式に始まったみたいです。どこかまだ他人事。こんなんじゃまずいのかもしれないけど、他に考えることがたくさんあるから仕方ない。

発売されてからちょこちょこ読んでいたんだけど、第一部を読み終わったら、とらえられてしまったから、第二部は一日で読み切った。

そう、「騎士団長殺し」の話。

 

提出書類を書いたり、準備したり、それらはそこそこ時間かかるけど、何かを決めるなんてそこまで時間がかかる話じゃない。

迷ってる暇があったら、読書でもしたい気分だ。

 

今日、ESの準備をしながら、10年後、20年後どうしていたいのか、どうありたいのかを紙に書きだしてみた。

「定食屋で出せるぐらいの料理を作れるようになる」が20代の前半の目標らしい。

そんなことがたくさんあるけど、それは本筋とはいささか違う気がしなくもない。

ただ楽しそうだから良いことにする。

 

自分の中で自然と引かれていくことは間違いなくあって、どこかその引力を感じることがよくあるから、まあ結局は流れに任せるだけ。

 

「騎士団長殺し」を読んで、思うことはたくさんあって、喋りたいけど、ここで喋っては面白くないから、札幌帰ってから話しましょ。

 

今年も何もかもまだ始まったばかり。いつもそう思っていくことにしました。

 

2017.03.03

こばやし