時限
小学校中学校高校のころは学年ごとにフロアが違っていた。
当時当たり前のように思っていたことをひさしぶりに思いだした。
学年ごとにフロアが違うということが学校という狭い中での一つの証になっていたのではないかと、振り返ってみて思う。
誰しも先輩に言伝をしにいくのに上の学年のフロアに行くのに、どこか違う世界にいるような感覚で、ちょっとびくびくしながら教室の中を覗いたという記憶があるんじゃないのかな。
子供には学校が全て、という感覚がある。
そこでの友人関係、その中でのルール、暗黙の了解などなど。
ちょっと考えてみただけで、案外複雑にできていることが分かる。
ただ今大学生になって、その当時のルールを覚えている人ほとんどいないでしょ。
そう思うとニュースになっているあれこれに少し思ってしまうところがある。
どうしてこんなこと書いているのかというと、高校の同期と会ったりしていると、どこかその当時の関係性を思い出そうとしている(または確認しようとする)ことがあるから。
頻繁にあっているなら、そのようなことはないのだけれども、数年ぶりに会ったとなると、“やっべー、なんて呼んでたっけ”とか“ん、どういう当時何話してたっけなあ”とか考えてしまう。
まあ面白いんだけどね。
ただどれだけ考えても、当時の呼び名が思いだせなかったりすると、結構焦る。(笑)
これが単純に僕の脳がおかしくなっているのか、普遍的なことなのか分からないから、なおさら。
数年後には大学の友人もこう考えてしまうんだろうな、と思うと切ない。
名前を覚えるのには自信があったんだけどね。
覚えているものには時限性がある、という教訓。
2016.11.14
こばやし