誇りと意地と情熱を。

北大生のブログ。東京出身です。日々の何気ないことから、様々に書き綴ります。

「蟻とキリギリス」の話は誰しも聞いたことある話。

 

夏に働き、冬のたくわえをする蟻と、夏を謳歌し、冬に食べ物がなくなり、それを蟻に助けてもらおうとするが、断られてしまうキリギリス。

 

簡単に見ると、一時の享楽に溺れず、将来を俯瞰し計画を立てるのが大事ですよという教訓を教えてくれる物語。

 

ここで少し違う点から。

 

蟻とキリギリス、どっちが生物として優秀なんだろうか。

 

この話を見ると、蟻の方が断然賢いけれども、僕らからみたら、どちらも昆虫であり大して変わらないと思うのではないだろうか。

 

では、

人と蟻、どちらが優秀だろうか。

 

これは言わずもがな“人”というのがほとんどの回答だと予想できる。

 

さて、本当にそうなのだろうか。

というのが最近考えること。(笑)

 

この前「モーガンフリーマン 時空を超えて」というNHKの番組を見ていて、そこで紹介していたのが、

“蟻一匹一匹が人間でいう脳の神経のような働きをして、組織として一つの脳の働きをもっている”というもの。

 

僕はこれまで蟻に対して全体として一つの生物には見ていなかった。

蟻は自らが持っている習性によって巣を作り、生きているものだと。

 

ただ確かによくよく考えてみると、全体として一つの生物だ考えてみたら面白い。

 

これを人で考えてみると、ネットの世界はこれに当たるわけで、瞬時に世界中の人の頭をつなぎ全体として物事の判断を決しているように見える。

 

リーマンショックは予測不可能だったと言われているけれども、この考え方で見たら、その通り、予測できるはずがない。

 

アダムスミスの“神の見えざる手”はこの話と近いのだと思う。

僕ら一人一人の意志とは違うところでネットに繋がれて生まれた“全体=神”が判断し進んでいく。

 

コミュニケーション速度が速くなったことで、より明確にその傾向は強くなってきているのだろうね。

 

身近な生物の生態から、人間社会を考えるということが役に立つとはこれまであまり考えなかったことだけれども、番組を見てなるほど、と思った。

 

蟻は実は人間よりずっと優れた生物なのかもしれない。

 

言葉でコミュニケーションをとるのが人間のやり方だけれども、このコミュニケーションの方法を用いている生物は実は少数で、非効率なやり方なのかもしれない。

 

番組では将来は脳波をつかったテレパシーで意思疎通ができる、という話が出ていた。

 

ほんと、SFでしょ!みたいなツッコミを入れたくなる番組なんだけど、見終わるといつも“ありえるかもな”って思うのが何とも言えない(笑)

 

人間社会ができて一万年ぐらいだけど、こんなの地球と比べれば一瞬。

これ聞くと“ん?”と思うけど、いつかこれに歓喜する時がくるのだろうかな。

 

2016.11.1

こばやし