隣
村上春樹が何年か前に書いた「1Q84」の中で「猫の町」という小説が登場する。
ある日、電車に乗って途中下車して降りた駅は夜に猫が支配する街、そこでは毎晩毎晩猫が生き、、、、みたいな話だったはず。
僕が初めて「1Q84」を読んだのは大学一年生の時だったから、かれこれ3年前ぐらいかな。
高校の進路相談会手伝った謝礼で買ったんだっけな。
まさかこのタイミングでこの話が思いだすとは思わなかったんだけど、今日の朝、それを思い出させることがあったんですよね。
今日の早朝、夜明け前、何時だったか、多分3時とか4時ぐらい。
なぜか猫の鳴き声で起こされた。
うちの近くには野良猫がちらほらいるんだけど、どうもその猫たちが騒いでるらしかった。
にゃーにゃーにゃーにゃー、うるさいんだ、これが。
ただ、子猫のようなかわいい声じゃなくて、甲高い悲鳴に近い声だった。
そんなんだから寝ようとしても寝れなくて、どんな様子か見てみました。
そしたらこんな感じね。
「うわー、『猫の町』の世界だー」ってね。
つい自分の部屋からカメラだして、写真撮って。
前回、新宿の写真のことを書いたから、その次になんでもない写真を乗っけるのは考えることがあるけど、まあいいか。(笑)
僕は考えすぎるのが趣味だから、ただ美しい写真撮って、どっかにあげて、瞬時に何かしらのリアクションもらうのはどうも気が引けるね。
美しいってつい書いたけど、みんなが知ってるような「美しいモノ」に対して、ちゃんと自信をもって写真がとれているわけではないからかな。
いつだったか、夏前に札幌で人の写真撮れる機会があったんだけど、どうも自信なくてふいにしたんだけど、イメージはあるのに撮れないのは本当に悔しい。
スマホとかの性能の向上で画質が一眼とほぼ変わらなくなってきた中で、わざわざそれと同じようなものは撮りたくないし(出したくはないか)、結構多くの人が写真を趣味にしている中で、せっかく出すなら、そこと同じでもつまらないしね。
対価もらっているわけではないのだから、好きにやればいいのではないのか、というのは一理あるけれども、やりたいことはただ写真撮って保存して、気が向いた時に見返して、というために撮りたいわけじゃないから、仕方ない。(笑)
最近、いわゆる理系的なことを勉強しているのだけれども、これまで文系的なことをやっていたから、つい人間が絶対でその枠の中で考えてきたけど、その幅が地球とか生き物とかに広がってきて、なんか楽しい。
これまで自分がなんで熱をもっているのかとか考えてこなかったからね。
それとともにいかに人間中心のばかりかと。
人間は可視光線しか見えていない。この外にある光なんて山ほどあるのにね。
ほんと不思議なことだらけだなあ、と。
なんとなくだけど、大きく理系は「地球」を扱って、文系は「世界」を扱っているんだなあと理解しています。情報系とかあるけど、極端な話。
今日の朝、猫たちを撮ったのは、僕らと猫の接点というか、猫たちがイキイキしている時間、空間を垣間見たからからかもしれない。
いい感じに感性を変えれればもっと撮りたいものが撮れるはず。
2016.10.30
こばやし