誇りと意地と情熱を。

北大生のブログ。東京出身です。日々の何気ないことから、様々に書き綴ります。

僕は目撃者になれるのか。

維新…①物事が改まって新しくなること。②明治維新のこと。
革命…①天命が改めること。②-1従来の支配階級が被支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること。②-2ある状態が急激に発展、変動すること。

 

ドラッカーというと「マネジメントの人!」というのが一般的な印象でしょう。
高校野球部のマネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んで、そこから得た知識を基に部活を変えていくという「もしドラ」の印象ですね。
たしか去年か一昨年に「もしドラ」を読みました(笑)

別に高校生でもないんですけど、大学図書館にあったのでふと手に取ったんですよね。
あのカバーの本を大学図書館で持ち運ぶのはなんともいえない感覚でした。
ラノベにカバーを付けて読む気持ちが良く分かりました。

 

そのドラッカー。経営をかじったら必ず名前を見かける経営学の巨人です。
僕はよく知らないのですが、たしかゼネラルモーターズの研究が有名だったはずです。

ただ経営や経済に触れなかった人に「もしドラ」で知られているように、一般的には”何をやった人か知らないけれども経営のすごい人!”という一種アイコン的な存在だと思います。

 

(×_×)(アイコンというとこんな感じ?)

 

今日、ドラッカーの「ポスト資本主義」を読み終わりました。

内容はいたって簡単なもので「知っていることをどう使いますか?<過去から未来>」です。

大学にいると、自分の学部で教えられる(探求できる)ことを学びます。
例えば経済学ぶだとどのようにして”値段が決まりますか?”という問いへの答えをいくつか授けられるのですが、
そうなると、究極には売られた量と値段の変化についてのデータがあれば、これからの予測や、大体これぐらい作れば最大限儲かるということが分かります。
この考え方があるだけで、何も知らない人とは大違いですよね。

 

この関係をもうすこし考えてみます。

 

経済学部で学んだことを何に対して使っているでしょうか。
回答はたくさんあると思うのですが、一つには生産技術・設備でしょう。
たとえば、何かを作る手段はあっても、経済学部で学んだことがなければ、どれだけ作っていいかもわかりません。ただ学んだ枠組みがあればどの程度作るのがベストなのかが推測できます。

 

例として、ちゃんと当てはまっているのか自信がないんですけど、
ドラッカーはこの構図を”知識を知識に対して用いる”としています。
これが現代社会の特徴です。

(簡単な例はコンピューターです笑)

 

これは理論として知識がまとめられていることが大きく影響されています。
大学で学ぶことはこれですね。

 

この本では、過去から現在にかけて「知識」がどのように社会の変化に寄与してきたかを記述しながら、将来どのように変わっていくのかを推測しています。

1990年前後に書かれた本ですが、内容は2016年の今、読んでも鮮明です。

この時代と言えばハンチントンの「文明の衝突」ですが、簡単に大きく社会がどう動いてきたかを考えるにはドラッカーの「ポスト資本主義」はおすすめです。

 

初めて農耕ができ、安定した生活ができるようになった弥生時代の農業革命。
法的”秩序”で天皇中心のクニをつくろうとした、律令時代のスタート、大化の改新
そこから鎌倉、室町、(戦国)、江戸と規模・地域を変えながら武家政権による時代。
そして、武家から天皇へと権力者が変わる、明治維新
江戸時代末期から明治にかけては”産業革命”の西洋の余波を受け、大きく国が動く時代。

このダイナミクスが歴史のストーリーとしての面白さですね。

 

ドラッカーの「ポスト資本主義」では”知識”という観点から、これまでの歴史的な転換点を記述しています。
これまでは権力者変わりましたね、生活変わりましたね、革命ですね!でおしまいでしたが、これで一つの視点でそれぞれの転換点を考えることができます。

 

 

さて、
僕らが生きている時代に革命は起こるのでしょうか。
"kaizen"(改善)という言葉が海外でも通用することに象徴されるように、日本史上では革命という言葉はあまり見かけません。(明治維新はthe Meiji restractureだったはず)

ただ西洋史を見ているとなにかにつけては”革命”がつきます。特にフランスでしょうけど。

 

ここ数年、直近ではVRやAI、数年前はスマートフォンとか、日常が変わる予感にありふれています。
今月のMUSICAでサカナクションの山口さんが世代間で違う感性について話していましたけど、世代で変わっていくことに分かる時代性と、
革命を起こしうる時代の要求とはいくら経験知識をもってしても分別がつかないものですが、
その努力をしない限りは、そこに立ち会えません。

せっかく生きているなら、転換点に立ち会いたいものです(笑)

 

僕は歴史を見る限り、革命やもしかしたら戦争に生きているうちに立ち会う可能性は高いと思います。
これだけの変化をしている中で歴史上では衝突がないのは奇跡的です。

 

ユートピア的な世界になるとは到底思えませんし。

とっっっっっても大きな話ですけど、ドッカーの「ポスト資本主義」はそんなことを考える足掛かりにはうってつけでした。

 

世界とか、これまで自分の見える範囲から超えることに拒絶しているところがあったので、ひとつ克服。

 

2016.10,18
こばやし