誇りと意地と情熱を。

北大生のブログ。東京出身です。日々の何気ないことから、様々に書き綴ります。

up-down-up

東京に戻ってきて二日が過ぎた。

後期から休学する(大学からの通知が来ないので心配なのだが)ので、しばらく東京にいるつもりだ。

先月もだいぶ東京にいたので、なれていたつもりだが、改めてしばらくいると思うと、どうも少しばかり苦しく感じる。

 

人生90年でみたら半年や一年なんてどうってことないはずなのだけれど、この期間に一つ何がしかのステップを踏もうと力んでいたので、いよいよだと思うと、、ね。

 

今勉強をしていることは、この大学生活人以下にしか勉強してこなかったので、その分が今降りかかってきたのだろうな。

 

過去の記録を見返してみると、かつて大学受験直前の冬は一日15時間勉強していたらしい。

なんとなく散らばっていた話が最後の章でうまく帳尻を合わせるように、教育制度の中にいる者として、その本来の機能を果たそうとしているのかもしれない。

 

去年、試行錯誤した結果、やはり勉強する必要があるということに落ち着いたのだけれど、その回答は誤りでないと信じているにせよ、やはり周りを見てみると、アクティブで楽しそうで、どこか羨ましいことは否めない。

 

ただこの一か月強、久方ぶりに勉強をしていて、自分の中の感性が変わってきた、もしくは鋭敏になってきた感覚がある。

一つのことから考えることが増えたのかもしれない。

もしくは興味の幅が広がったのかもしれない。

 

武田信玄亡き後の武田家を継いだ武田勝頼は武田家由来のしがらみの多さがなかったなら、もしかしたら天下を取っていた可能性があるらしい。

札幌から離れる選択は間違っていないと信じるしかない。

 

多くの同期が来年就職を迎える。

いま、この宙に浮いた時間をどう使っているんだろうか。

 

一昨日、ゼミで後輩から「もっと楽して生きればいいじゃないですか」と言われた。

よく言ってもらえることだから、その都度考えるのだけれど、ふと“二―バーの祈り”を思い出した。

 

神よ

 

変えることのできるものについて、

 

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

 

変えることのできないものについては、

 

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

 

そして、

 

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

 

識別する知恵を与えたまえ

 

(二―バーの祈り/翻訳者:大木英夫

 

 

そういえば、ちょうど一週間前、資料整理をしに置戸町に行った。

日本史(近代史)、社会教育、経済史を専門とする3つのゼミの合同だったのだけれど、院生や博士の方たちも多く、よい刺激になった。

ひとつ、自分の専門を深める上で良い標を見つけられた。

 

飲み会で日本史について延々と語るのは今の僕には厳しい。(笑)

 

“ぽかん”と空いた、長くも短くもない時間をどう使おうかな。

ちょっとだけわくわく、かなり不安だけれど、だからこそ何かやれる気がする。

 

iPhoneのようにアップデートしたはいいけど扱いにくい、ということにならなければいいが。

 

2016.10.01

こばやし