生きにくさと相対化についてのぼやき。
哈爾浜5日目。
こっちに来てから、ゆっくりと観光地に行き、裏道理を歩き、なんとなく行き当たりの店で飯を食っている。
写真は溜まってきたので、変えたら何回かに分けて、どこかしらで出したい。
伝えたいことが山ほどある。
明日のフライト時間の関係で、出発時間が早いので、今日は事実上哈爾浜最終日にあたる。
今日は、宿でのんびりしつつお土産等の買い物をしようかと思っている。
あいにく天気は曇り模様。
昨日まで風は強かったものの晴れていた。
曇天とはついていない。
今日の午前中、中央大街を歩いたりしながらぼんやり考えていたことがある。
日本の「きちっと」しなきゃいけない、あの雰囲気は何なのだろうかと。
一律に強要されるあの空気感。
おしなべてみなさん一緒ですよね、というあの暗黙の了解。
中国に来て5日目。
店員が雑談していたり、テキトーだったりと、日本人的な感覚からは幾分疑問符のつくことが多い。
ただこの国独特のゆるさがここにはある気がする。
お客さんと雑談始めたり、道端の人にすぐ話したりするところとか。
たしかに経済的には格差が大きかったり、生活環境が日本と比べれば“悪い”と言わざるをえないところも多い。
でも果たしてそれだけなのだろうか。
中国というと、どこかへんちくりんな途上国のイメージを持ってしまうところがあるけれども、
やはり歴史の中から培わられてきた社会には許容力があり、弾力がある気がする。
翻って日本を見てみると、1945年を境に生活環境はガラッと変わってしまった感は否めない(変わらなかった部分もあるけれども)。
二年前、中国に来た時とは違う印象をもって帰れそうである。
一人旅はこれだから面白い。
街を歩きながら、先日北大で行われた「ニッポンのジレンマ」を思い出した。
昨今の旅は観光地のような表ではなく、生活などの日常を見に行くことが多いという。
なるほど。その通り。(笑)
異国の日常から、北海道の日常を相対化できたら、より北海道での生活が面白くなりそうである。
おそらく僕は旅に出ることで、旅先を鏡として、自分の日常を写したいのかもしれない。
何を成したいのかという問い。
どう生きたいのかという問い。
かっこよく言えば、
この二つの問いに答えようとし続けることで、逆説的だがこの問いに答えたい。
ここ数日また新しい書き方にしている。
案外書きやすいなあ(笑)
この書きやすさは何を意味しているのだろうか。
睡魔に襲われる時間だ。
このへんで。
2016.4.8
こばやし