日々雑記。
遠軽20日目。
残り3分の1になった。
あっという間と言えばあっという間だなあと思う。
今日、社長に連れ出され、同じ地域の別の牧場に行った。
箭内牧場というところで、これまで地域の集まりでお会いしたことがあったからかいろんな話を聞いた。
酪農の現状、地域への思いうんぬん。
こうして色んなものを見させてもらって、触れさせてもらって、なにか返さないとな、と思う。
地方だ、田舎だと良く騒がれるけど、それで盛り上がれるうちは華なんだろうな。
ぼんやりと昔のようには戻れないという空気感が漂う地域に身を置いていると自分に本当に何もできないと感じてしまう。
あくまでも主観的な話だけど。
学生同士でこういう話しているとどこか机上論になってしまう感覚があるんだよな。
「どーせ本気でやらないっしょ?」みたいな暗黙の了解があって、話のネタの一つとして地方消滅とかを語る。
良し悪しじゃないし、学生じゃなくてもよくある現実だと思う。
別に当事者である必要などない。
政治に対しても同じ。
いや、もはや学生だと話のネタにもならないのがほとんどか。
ただ政治について触れようとすると「私には、、、」ということを良く言われる。
僕だって政治に関して専門的に学んでるわけではないし、知識もない。
だから政治はこうあるべきだ、とかこうなったらいいよね、みたいな話をするときは気が引ける。
だけど、それでいいんだろうかね。
頭いい人、知識ある人にすべて任せればいいでしょって発想。他人任せ。
これはまずいと思う。
自分たちの生活とか、人生とか、結局は自分で選んでいかないといけないのに。
人生をゲームに例えると、
ゲームをただプレイして終わりってのが今の政治とかを考えないこと。
それに対して、ゲームを1から自分で作っていき、自分で作ったゲームをプレイすることが、政治とかを考えて生きていくことなのではないかな。
だからつまりは、机上論になったとしてもまずはそういう話を日常でしないといけないと思う。
学歴主義的な考えだけど、大学生であるならばなおさら。
そういうベースがあって、はじめて「じゃあ自分達は(そのテーマにたいして)どうしようか」ということになる。
コミュニティとか、人集めるとか、巻き込んでとか良く聞くけど、
土台のない建築物に安定が何のと同じように、ベースのない集団になせることはほとんどないに等しい。
サッカーとか受験勉強でも言われることは同じで「基礎、基本が大事」ということ。
これに真摯に向き合いたい。
札幌帰ってからもそうだし、大学卒業してからもね。
そんなことを考えていたこともあって、いま遠軽にいるんだし。
僕等が食べてるものってどっからきてるんだ?
っていう純粋な問い。
システムの生産物をただ享受して生きていきたくないし、代替性の高い人生を生きたくないからね。
こうして何かに記し続けていくことで、僕は自己規定をしていく。
残り10日。なにが待ってるんだろうな。
わくわくするよ、ほんと。
「つくりたい未来をつくろう。」
昨日降っていたこの言葉どっかで使いたいな。
(なんとなく文体を変えてみましたけれど、どうなんですかね笑)
2016.3.21
こばやし