変わりゆく地元に思うこと。
■帰省してました。
二週間ぶりにブログを書きます。
実はこの二週間、実家のある東京都に帰っていました。
3月以来なので、大体半年ぶりの帰京です。
いつか書いたかもしれませんが、9月はインプットを重視したいと思っていて、実家では結構本を読んでいました。
まあ、このことは置いといて、
今日は僕が地元に思うことをつらつらと(だらだらでしょうね)書きます。
■練馬って。
僕の実家は練馬区早宮にあります。
練馬区といわれて思いつくのは「大根」と「としまえん」「マンガ・アニメ」ぐらいでしょう。
大根は、「練馬大根」(そのままです)とよばれ、地域の名物として学校の給食とかで紹介されたりもします。23区なのに農産物が練馬区の特徴です。
としまえんは古い遊園地で、北海道各地に転がっているテーマパークと内容は変わりあるものではありません。違うところと言えば、立地ぐらいだと思います。この遊園地、経営の悪化が原因かどうかは定かではありませんが、将来公園になるそうです。
10数年、この町で暮らしていましたが、パッと思いつく練馬区の特徴はほんとに少ないです。
ちなみに、練馬区は23区の中で最も新しい区でして、かつては「練馬町」だったようです。
■早宮地区
なにもない練馬区の中で、僕は「早宮」(ハヤミヤ)という地区に住んでいました。
早宮は閑静な住宅街でして、実家から副都心線氷川台駅また平和台駅まで徒歩5分というところです。池袋まで電車で10分、新宿まで15分です。
下の写真(1枚目)は母校・練馬区立開進第一中学校の校庭です。
まあ、何で載せようと思ったのかわからないんですが、とりあえず載せときます(笑)
このグラウンドでサッカーに耽っていた中学生時代だったですね。
校庭の設備が僕が卒業してから何も変わってないですね。(笑)
もう6年経つんだけどなあ。
また早宮には商店街があります。二枚目、三枚目の写真ですね。
早宮商店街は、こんな「┛」形に商店街が形成されていて、僕がいたころは文房具屋、スーパー、肉屋、金物屋など、いわゆる商店街にありそうな店舗はたいていありました。
地域のお祭りもやっていて、フリーマーケットや盆踊りをした記憶があります。
あのころは友人たちと祭りがあるのを楽しみにしていましたね。
そんな早宮商店街だったのですが、ここ数年急に衰退していると感じます。
高齢化の影響か、地元の商店街は典型的なシャッター街に変わり、ある店は老人ホームに、個人商店はコンビニになりました。
余談ですが早宮商店街からピザハットが撤退しましたピザハットのあとに葬儀屋が入ったようです。
また悲しいかな、地域のお祭りはほとんどなくなってしまいました。
地域から子供が減ったという話は聞かないので、こちらも高齢化の影響でしょうか。
そんな衰退の一途をたどっている僕の地元です。
■思いとして
浦和から越してきて10数年、早宮で過ごしてきて、地域に育てられたという感覚があります。いまは北海道にフィールドを移しているのでなおさらですね。
ただ地元の商店やお祭りがなくなり、地域との接点が減っている中で
今の子供たちは僕等の代とは違う感情を地元に持っているのかもしれません。
これは練馬区だけでなくどこ行っても思いますが、街の色っていうものが薄れてきているなあと感じます。
僕の記憶の場所はもう過去のドットの1つでしかありません。
商店街に限って言えば、商売として繁盛しないならば衰退は仕方ないという見方もできるかと思いますし、自分もそう思います。
ましてやここは東京です。
ただ、それでいいのでしょうか。
僕らの地元が知らずしらずのうちになくなっていっていいのしょうか。
僕らが地元からもらったものは僕らだけのものにしていいのでしょうか。
移り変わりの早い社会やら世界で何かをとどめようということ自体に無理があるのは100も承知です。
ただ理解できるけど納得できないんですよね。
自分の一部が失われることを嫌っているのでしょうが、この感覚は大事にしたい。
すこしでも地元のために何かできればなあ。
2015.09.16
こばやし