RL#01
RebuildingLAB#01が終わった。
みながどう感じたかは分からないけれど、ちゃんと準備してきたイベントの中では一番出したいものを出せたイベントだった。
初めて大学に入った時に、部活とサークル以外に選択肢のないという違和感。
いざ部活を辞めて何かをやろうとしてみると、インターンなり、留学なりをすることがすごいと言われる違和感。
違和感ずくめの中でとりわけ謎だったのが、学生団体がイベントをやること。
特に札幌でということだけど。
僕はある意味でイベントは表現だと思ってる。
手軽に自分達の好きなことや伝えたいことを広めるにはイベントは良いと思う。
ただあくまでもそれはきっかけに過ぎなくて、
そのイベントをきっかけにしてどこかへ跳べなければ、本来好きなことにつぎ込めたはずの時間がもったいない。
そんなことを思っている。
僕が学生団体をやっていた時期はここの認識が甘かった。
とりあえず何かをやること=良いことみたいな風潮に流されてた。
結果的には自分達のやろうとしていた方面に行く人は多いし、未だに仲良いけれど、
後輩達に残せるほど魅了できるものではなかったと思う。
今回、とても久しぶりにイベントをつくったけれど、振り返るといくつかのキーワードにまとめられる。
「非日常」「自由」「同じ」。
「イベント=非日常」という構図は前からずっと意識していること。
イベントに行くというのは、来てくれる人にとって一つの意志であり、普通とは異なる一つの行動であるといえる。
その一歩踏み出した先の場所が、ふつうだったら期待外れになってしまう。
その期待にはちゃんと応えなきゃいけない。
二つ目は「自由」。
これは今回のイベントの一つの発明だったのではないかと思う。
交流会っぽいのに自己紹介やアイスブレイクといった仕掛けがなく、スタッフがいるはずなのに区別できない。
僕はみながそれぞれ好きなようにできる空間をつくりたかった。
悪く言えばテキトーなんだけど、誰かの意図を感じる場所で会った人とはなかなか仲良くなれないし、目的をもって聞かされた話にはその時こそ感化されるが、どうせすぐ忘れてしまう。
誰かが頭で考えたように、人は動かない。
第二回さっぽろ若者会議で試みようとしたことの反省を今思えば活かしきった気がする。
三つ目は「同じ」。
学年が上の人や社会人が話し相手となるとどうしても相手の話を聞くポジションになってしまう。
また、壇上から経験をもって語られるとどうしても納得してしまう。
この、所詮どんぐりの背比べなのだけど、差を大きく感じてしまう空間をどうも好きになれない。(組織的な上下関係とは別の話で)
普段から会っている人が改めて話しをするのは、普段見ない一面が見えて、ピリッとしたりするのだけど、初対面が壇上の人だと、どうもその印象が強く残ってしまい、その後の関係性をつくりにくい。
そこで対談という形にしてみた。
ここは当初の意図通りではないけれど、対談だからこそのバチッと決まらないゆるっとした空気感が出せたのではないかと思っている。
細かく振り返れば改善点はあるんだけれど。
まあ、つまりは同世代なんだからさっていうフレーズが全てを表現しているのだと思う。
イベントの終盤の方で自分が喋る時に「問い=違和感」ということを言った。
言いたかったことがどの程度伝わっていたかは分からないけれど、
みなと同じではないことに苦しんでいたり、「何か違うな」と思っている人に届けばよいなと思って行ってみた。
違和感を問いにできたのなら、その問いの答えを探す一歩が踏み出せるはず。
何か行動をしている人って、ただ自分が好きだからやっているという面と、違和感に向かっていくという面の二つがあると思う。後者は「これは違う、正そう」という正義感も含まれる。
今改めて言葉にしてみると、
「Rebuilding」=建て直しという意味にちゃんと近いことをできていた。(笑)
やはり頭ではほんの少ししかわかっていない。
イベントの中でも、うまくいかなかったところは中途半端に頭で考えてしまったところだった気がする。
「うまくいかなかった」という意識自体がその要因であるということはあるのかもしれないが。
今回のイベントでの僕の役割は「概念をつくること」の一点だった。
コンセプトというかもしれないけれど、ぼんやりとしたものに言葉をつけていく役割だったから概念ということにした。
ただチームの中でちゃんと自分の役割をまっとうできた気はしていない。
言葉にしていくことの難しさを本当に勉強した二か月だった。
チームのみなには概念が固定されない故に迷惑をかけた。(コンテンツ名が二転三転したことも)
そんな中でも楽しく最後を迎えられたのは何より信じてくれたチームのおかげだったと思う。
これまで先輩達といることが多かった。
今回、初めて後輩達とチームを組んで、不甲斐ない先輩で申し訳なかったけど、最後ちゃんと形にできて本当によかった。
2017.06.13
こばやし
3がつ
気が付いたら3月になっていた。
就活が公式に始まったみたいです。どこかまだ他人事。こんなんじゃまずいのかもしれないけど、他に考えることがたくさんあるから仕方ない。
発売されてからちょこちょこ読んでいたんだけど、第一部を読み終わったら、とらえられてしまったから、第二部は一日で読み切った。
そう、「騎士団長殺し」の話。
提出書類を書いたり、準備したり、それらはそこそこ時間かかるけど、何かを決めるなんてそこまで時間がかかる話じゃない。
迷ってる暇があったら、読書でもしたい気分だ。
今日、ESの準備をしながら、10年後、20年後どうしていたいのか、どうありたいのかを紙に書きだしてみた。
「定食屋で出せるぐらいの料理を作れるようになる」が20代の前半の目標らしい。
そんなことがたくさんあるけど、それは本筋とはいささか違う気がしなくもない。
ただ楽しそうだから良いことにする。
自分の中で自然と引かれていくことは間違いなくあって、どこかその引力を感じることがよくあるから、まあ結局は流れに任せるだけ。
「騎士団長殺し」を読んで、思うことはたくさんあって、喋りたいけど、ここで喋っては面白くないから、札幌帰ってから話しましょ。
今年も何もかもまだ始まったばかり。いつもそう思っていくことにしました。
2017.03.03
こばやし
情動/常道
札幌に帰るまであと10日ばかりです。
サカナクションのAbemaTVでの生放送(生配信)を見てしまった故(つまり酒が入っていることだけど)に、細かい計算が合わかったり、論理展開が追えなくなっちゃったから、今日は勉強はやめて、なにかしら書こうと思います。
ちょこっと書き溜めていたのがたくさんあるんですけど、そのたびになんか違うなあ思って、投稿するのはやめちゃったり。(笑)
書きたいことはたくさんあるんですけど、どうも書き言葉にするのをはばかることばかりです。
まず今月入ってから、札幌界隈であやしいビジネスをやらないかというお誘いが多いっていうあれについて。
Twitterのツイートが拡散されたり(例にもれず僕もリツイートした)、Facebookでの先輩の投稿とか見るたびに、申し訳ないなーって思ってます。いろんな意味で。
ただ、いろんな事情があるにせよ、なんでみんな黙ってたんだろう。
垣間見ていたけど、一切かかわらないことを決めてる人が多いんじゃない?
なんで?
表現に語弊がありそうだけど、爆心地は結構近いところでしょ。
札幌離れているから現実どんぐらい広がっているとか、よくわからないんだけど(無責任極まりないことは承知)、違うもんは違うって言ってやればいいのにね。
知っていても言わないことはあるにせよ、言わなきゃいけないこともあるはず。
いろいろ拡散される前に、何人かとやりとりしてたんだけど、中途半端な正義感を振りかざしてもいいと思うけどね。
まあ大きな潮流だからどうしようもないんだけど、周りであまりこの話は出てほしくないし、これに時間使うなら本来やりたかったことに専念したい。
ただ一つ反省があって、その結果「楽しければそれでいいんじゃね?」ってフレーズをつかうのをやめました。(笑)
はい、次。
公務員試験に向けてせっせと勉強しているわけなんですけど、やっと経済学が楽しくなってきました(やっとかい)。
今日見たら、半年前はちんぷんかんぷんだったHOPSの経済学の問題が解けるようになってて感激。
このままなら院試対策はいらないなって一安心、院行くのはほぼ考えてないけど、想像すると院は楽しそう。
ETVに「オイコノミア」って番組があるのを知っている人は多いのかな。
又吉さんと阪大の経済学の先生を中心に見の周りのことを経済学の視点で考えてみるって番組なんだけど、学部レベルの経済学(ミクロ、マクロ)では扱わない概念を扱っていて、どっから引っ張ってきたんだ、、、って思うこともあるんだけど、こうやって身の回りのことを経済学っぽく見れたら面白いと思います。
例えば、「これからカレーが10個、順番に出てきます。あなたがこれから死ぬまでそのカレーを食べるとして、どのカレーを選びますか?ただし、順番に出てくるのですが、パスしたカレーは食べれません。」って話があるとします。
つまり、最初にインドカレーが出てきました。パスします。そうするとその時点でそれ以降にへんてこなカレーが出てきたとしても、インドカレーを選ぶことはできないってわけ。
そういう状況になった時に、何番目までのカレーを基準にすればいいのかを経済学で示唆できるそうです。
まあ簡単に立式すればできるんだけど、そんなことを紹介している番組です。
(ちなみに3.6番目までのカレーを基準にすればよかったはず、うる覚え)
何が言いたかったっていうと、
こうやって身近なところに勉強してきたことを落とせるって楽しいよね。
去年「僕たちのアーカイブ」(あ、出せなかったやつたくさんあるな、、、ごめん、、、)で似たようなことをやりたかったんだけど、録音して書き起こすってのが意外と大変だから、その場で完結するものがやれたら楽しいな。
僕の今年のテーマは「10年後の可能性をつくる。」(フレーズはいま考えた)です。
就職するか院に行くか(それ以外もわりとある)分からないけど、何かをすることも大事だけど、その“行動”の前提になる“そのわけ”の前を増やしたい。
抽象的に書くのは僕の悪い癖(右京さんではありません)。
要は、例えば、友達と食事に行くことになりましたとします。
月末の金曜日、夜。大学は早く終わることはないけど、用事もなく、翌日も早く起きる必要はない。プレミアムなフライデー(経産省非公認)。
そんなとき、どこ行きます??
とりあえずビールはどこでもやるとして、とりあえずなじみの居酒屋ってのがスタンダードな気がします。
それはそれでいいんだけど、その居酒屋に行く理由って「ビール飲めて、話せて、良い」からだと思うんだけど、でもそれっていつどおりの楽しさじゃん。
残りの時間もう多くない(っていう割に一年長く大学生やってしまうことになったんだけど、反省だなー)ので、そこでの違う体験をできたらいいなって思ってます。
定食を食べるにしても、違う店。そんなとこ。
目的的になりすぎるのが欠点で、そのせいでうまくいかないことだらけだったけど、ある程度割り切れるようになりました。(笑)
移動時間に音楽を聴くのもいいんだけど、その時間にラジオ聞くとかね(と言いながらサカナクションしか聞かないやつはどこのどいつだろうか)。
この流れから、札幌帰ってからやるつもりの朝活について。
実はとりためてた番組やら動画やらがたくさんあって、ときおり見ては楽しんでいるんだけど、せっかくなので、それをベースに平日の朝とか集まって、あーだこーだ話せたらっていうことをやります。
この半年で経済学も法学もベースは分かるぐらいになってきた(例の一件をベースに法律の質問ができた、わーい)反面、考え方が固い気がしてるんですよ(対して体はやわらかくなる一方)。
自分の行動の99%はそれまでの自分の思考の軌跡によるものだって考え方をしていて(こうなるとただ楽しいだけではいけないなあ、えー)、だから話すと感動することが多いし、刺激になりそうかなと。
僕なんか、雨降ってくると「サカナクションだー!!!!!!激熱!!!アメフルヨル!!」なんて興奮するんだけど、これってサカナクション聴きすぎたせいで、他の人にはできないと思うんだよね。(笑)
ただ「雨」ってことを題材に何か話すことにしたら、人によっては「言の葉の庭」の描写かもしれないし、宮沢賢治かもしれないし、気象現象としての雨かもしれないし、いろんな見方があるじゃないですか。
それを聴くのって楽しいし、何考えているのかって想像するだけでわくわく。(笑)
だから、そうやっていろんなことを思えそうな題材を選ぶんで、そこは期待してもらえると嬉しいです。
まあそういいながらFacebookではあえて固いものを例として出しました。(笑)
ちょいと試しで。
サカナクションから考える「東京」てのが今一番やりたいテーマ。(笑)
音楽もめっちゃいいんだけど、みんなでそれは話すのは難しい(というより音階も分からない僕にはハードルが高い)。
だから、みんなで話したら、終わってからちょっと感じ方、見え方が増えて、楽しみが増えるようなことを。
ずいぶん前にBSのNHKで「Night Fishing」って番組があって、山口さんが夜釣りに出ながら東京のこと想像するんだけど、「東京って街で自分達の音楽が今も鳴っていると思うと不思議」って言っていて、それにすごい共感したんですよね。
自分達がつくったものが東京って街で広がっているって感覚は分からないけど、想像するとうわーってなる。(笑)
そんな欠片がたくさん散らばってるのが魅力な一つなんですよ。
他にも「美しくて難しいものって伝わり辛い」とか(曲聴いて「これ何言いたいんだろうか、、、」ってのも楽しそう)。
話し出すと止まらないのでこの辺で。
ちょっと長くなったけど、これまで思った通りにやったり言ったりすると、わりと大多数に「???」ってなるから、抑えてたとこあるけど、それはそれとしてって感じでやっていけたらもっと楽しいね。
息苦しいわ。めんどうだし。
「目的的に遊ぶ」
遊ぶって文脈によっては批判的だけど、そんなことない。
無意識の話を書きたいんだけど(フロイトはわかりません。)、割愛。
「人生の本舞台は常に将来にあり。」
2017.02.25
こばやし
新年事始め
新年あけましておめでとうございます。
気が付けばだいぶ日数が経ってしまいましたが。
実は一部の人だけになっちゃいましたけど、
年賀状代わりに年賀状っぽい画像を作って送ってみました。
どの家でも観られる光景でしょうけれど、実家にいると両親が年末に年賀状の作成に追われているところに出くわします。
数日前の報道(newspicksで見たので元ソース覚えてません)によれば、年賀状の発行枚数が30億枚に届かなかったとのこと。
今の日本の人口が1億人だとして計算しても一人30枚程度なのですから、それだけですら相当な量です。
自分の小学校時代を振り返ってみると、毎年、年末になると友達の住所を聞いては年賀状を手作りし、ポストに投函していた記憶があります。
たぶん年賀状を作らなくなったのは中学校ぐらいからじゃないのかな。
ただ年賀状がいつから始まったのかを考えると、郵便制度が始まったのが19世紀後半なので、長くてもここ100年ぐらいの文化なのかなと。
そう考えると祖父祖母の子供の頃は年賀状という文化はなかったのかもしれませんね。
バレンタインやハロウィンが日本では、本来とは異なる方向に祭りになっているので、もしかしたら、年賀状も誰かが仕掛けた文化かもしれません。
ただ郵便制度は本来国営だったので、仕掛けた元は国でしょうけれど。
組体操が戦前教育の名残であるのは有名らしい話ですが、国家主義的な運動の中で生まれたものだったら、ちょっと年賀状に対する思いが曇りますね(笑)
そういえばこの前新宿の高島屋で手帳を買いました。
日ごとにメモできるタイプを探していてやっと見つけました。
A4サイズのノートを日記にしていたのですが、ちょっと面倒で遠ざかっていたので、手帳兼用なら、惰性な僕でもことあるごとに続けられるのかな、と。
昨今では日記も手帳もスマホで済ませてしまう人が多い気がします。
手書きの良さってあると信じているので、こうして手書きをする機会を作らないと、手書きすることがないなんて寂しいですね。
そう言いつつも今年送付した年賀状は全てパソコンで作ったのですが。。。
そうそう、その年賀状画像ファイルを送った時に、「アプリって便利だね」というリアクションが多かったです。
いや、アプリじゃねーしって思いましたけど、なんでもかんでもアプリでこなせると考えるのが当たり前になったと思うと、ゲームボーイを持って友達と有線つないで通信対戦していたあの頃とは隔世の感があります。
まあそんなところです。(笑)
そうだ、3月9日のフライトが取れたので、そこらへんで本格的に札幌に戻ることにしましたよん。
雪解けのぐちゃぐちゃした時期に戻ると思うとすこしげんなりしますけど(笑)
2017.01.11
こばやし
orikaeshi
明日、空港泊する都合上、気分的には今日が前半戦最終日です。
公務員試験関連の課していた分は昨日までには終わり、韓国語勉強したり、読書したり、映画見たりしています。
今日は24時からサカナクションがオーガナイズするクラブイベントNF1Rの配信があるので、早く寝るか、遅く寝るかどうするか決めかねているところです。
通例、勉強しているというと、テキストをベースにかりかり学習をしているという印象ですけど、映画を観たり、美術館に行ったりすることも、知らない町で知らない人達と飲みかわすこともおなじようなことだと思っています。
夏休みからこれまで振り返ってみると、ずいぶん長い期間だったなと思うと同時に、ここまで時間を無駄にしなかったのも自分のことですけれど感心します。(笑)
いろんなことを片付け、模試の結果もまあ射程範囲に入るかという所に位置づいたようなので、不可ではないと。優とか秀ではないけれど。
読書数も合間合間に読み進めているので月10冊少しのペースで進められました。
「落日燃ゆ」(城山三郎)が一番良かったです。
戦前の総理大臣広田弘毅を主人公に据えた話で、戦争をいかに最小限に抑えるか奔走しながらも時代の潮流に飲み込まれる様子を描いた文筆は圧巻でした。
明後日から札幌に戻るわけですが、戻ると言っても5日足らず。
なんだんかんだ気が付いたらスケジュール埋まっていたので、LINEするのを辞めたのも多くなんか悔しいです。
そういえば14日、15日とゼミ合宿で新篠津に行きます。
ワカサギ釣りはどうも早いみたいなのでできないようです。
なにがあるのやら。
明日空港泊している間に逃げ恥を全部見るのが楽しみだな!
2016.12.10
こばやし
むだい
前回からずいぶんと時間が空いた気がします。
昨日11月に受験した公務員試験の結果がかえってきました。
個人的にはまあこんなもんでしょうという印象です。
それと同時に人事院から日程が発表されました。
受験日は4月30日だそうです。
先がながいようであっという間なんでしょうね。
やるべきことは山のようにあるのでそれらを淡々とこなすと同時に、公務員試験とは外れたことも積んでおきたい今日このごろ。
何をどれだけ、どうやるのか。計画立てて、やってみて、反省して、練り直す。この繰り返しです。
最近、娯楽だと決めて、ただ見ていた映画などについて、あーだこーだ考えるようになってしましました。
作品観るにあたって、当時のインタビュー記事読んだり云々。
説明がなされてしまうことで面白さが減る部分もあるのですが、これはこれで面白いのかなと。
来週月曜から金曜までの約四日間札幌に戻るのですが、その云々でここ数日はSNS見ていて、どこか懐かしいです。
ただ集中切れるんで徐々に手放さないと、、、。
といいつつも札幌戻るまでに終わらせたかったことの大体はもう終わるので、余裕あると言えば余裕あるのかな。
観たかった映画とか読みたかった本に残りの時間充てようと思っています。
札幌戻ったら、時間かけて写真撮りたいな。
前より考える幅が広がったから、その力試しに。
2016.12.07
こばやし
空気
今日の東京は晴。
気が付いたら12月に入ってから三日がたった。
休学してから2ヶ月弱が過ぎ、考える時間がこれまで以上に長いと、これまで考えてこなかったことを考えることができる。
地元にいると、高校までの地元で過ごしてきた時に何があったのか、当時の自分は何がしたかったのか、と考えることがある。
まあ普段からよく考えることなんだけど、紆余曲折ありながら結局はまっすぐ来ているというのが全体としての感想なのか。
ただ今の自分の視点から見る過去の出来事と当時の自分の視点からみたそれは、似ているようでどこか違う。
ここで僕は先生の死について言及したくはないけれども(札幌帰った時に話すことになると思う、必然として)、それもその一つ。
間違いなくあの出来事は大きな変化を求めてたし、親から昨日聞いたことが事実なのだとしたら僕らは大きな反省をしなければならないことだった。
最近も変わらず“いじめ”の話やらがトピックスに上がっているけれど、どうにもならないと傍観している人が世の大半なのではないかと思う。
子どもたちに非はないけれど、そういう状態を作っているぼーんやりとした大きい空気みたいなものは、ちゃんと責め、まともなものに近づける努力はしないといけない。
そういえば明日、先月受けた模試の結果が返送されるらしい。
模試から三週間後に発想だったはずだからおそらく。(笑)
模試から三週間たった今、当時からどの程度自分が変化したのかは分からないけれども、まあ進歩はしているのだとしたい。
大学受験の時に模試は学校から強制されたもの以外受けなかったから、なんだか楽しみ。
試験までちょうど5か月ですね、まあどうにかなるでしょう。
年度内にどうにかして院試のレベルまで達していたいなあ。
そんなこんなで札幌に戻るまであと一週間。
ゼミ合宿を平日にやることが僕にはまだ理解できないけれども、同期がどんな卒論を書いているのか楽しみ。
東京はやっと紅くなっていた葉が散ってきた。
冬、毎年なんかあるから、おそらく今年もなんかあるんだろうな。(笑)
他人事のようだけど、楽しい冬になればいい。
2016.12.03
こばやし