深浅
いつか小説を書こうと思っている。
毎日話したり書いたり読んだりしてきてる中で、言葉を組み立てるというのか、ちゃんと言葉を考えて並べることがないから、これはいい機会なのではないんかなと。
この前、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んだけど、小説を書こうかと思ってみると、歴史小説は膨大な量の史料と想像力が要請される、ひとつの作品だと感じた。
言葉の並べ方を考えてみると、参考になりそうなのは歌詞だろうか。
歌詞は程よく短いし、俳句や詩といわれても恐縮してしまうから、それらに比べれば身近なものだ。
(歌詞を書きます!という流れになっているけれど、歌いませんよ)
昔に刊行された本を見ると、現代人には難しい言葉がつらつらと並べられて、僕にはまだ文体の美しさだとか、文章のすばらしさが分からない。
分かることはと言えば、“こんな言葉使っていたのか、いや存在するのか”ということぐらい。
今、「文明論之概略」を解読しているけど、1ページに一つは四字熟語が出てくる。
どう考えても現代にはありえないだろうと思ってしまう。
まず四字熟語自体そんなに思いつかない。
事事物物とかね。
そういえば吉本隆明の著作に「言語にとって美とは何か」というのがあった。
興味はあるけど、なにせ難解そうだから手を出すにはちょっとなあ、、、。(笑)
まあ言葉についてあれこれ考えることはといえば“英語やったほうがいいかな”とか他言語のことばかりだからこそ、少しは母語のことを考える機会はありがたいのか。
なんとなく分かりやすいもの、キャッチ―なものが好まれているように感じるから、だからこそ難解なものに挑んでいく心意気を持ちたい。
分かりやすいもの、使いやすいもの、つまり簡単なものだけど、そういうのばかりになれてしまうと、僕は“飽きたから次!”ってなってしまう。
そうして飽きたものばかりになってしまうと、それ自体に飽きてしまいそう。
ちょっとそれは嫌だね。(笑)
よくわかんないものをについて云々云々やっていたらどうにかなる気がする。
2016.11.11
こばやし
選挙
アメリカの次の大統領がトランプ氏になったという。
大統領選挙始まった時点では誰も予想していなかった結果に世界中が慌ただしい。
過激な発言で話題をさらっていたけれども、あれだけ事業で成功してきたのだから、非常に合理的で賢い選択をする大統領になるのではないかと僕は思う。
これまでの選挙戦、ならびにアメリカの人達のコメントを見ていると、いかに国民の声を聴くのがうまいことか。
ポピュリズムに傾倒することはいかがなものかと思うけど、おそらく今は耳を傾ける段階で、一度受け止め反応を見たうえで、新しい世論を形成しようとしてくるのではないだろうか。
経済学でいえば、邪魔が入らなければ、保護貿易より自由貿易の方が経済成長に寄与すると言われてきているわけで、今の日本は自由貿易推進の方向に大きく進もうとしている。
ただ経済成長と言ってもGDPなど統計上の数字にまつわる話で、その指標を振興するかしないかは多くの人が考えなければいけないことになってきたように見える。
電通に象徴される問題しかり、なんで切羽詰まってまでやらなければならないかと言えば会社の成長のためで、それはゆくゆくは経済成長のため、、、みたいな話なわけでしょ。
僕自身は自由貿易の方向を支持したい。
北海道ではTPP反対というのが大きな声としてあって、どっかの駅には横断幕があったりと、毎回驚かされるのだけど、下降傾向にある産業を必要以上に保護するなら、その分将来有望なことに予算を充ててほしいなあと。
ソフトランディングする必要はあるけどね。
これからどこへ向かていくかは分からないけれど、世界の覇権はアメリカ一国から、分散する可能性は高いかもしれない
覇権をとった西欧諸国に加えて初めてアジアの国が出てくるのか。
これからフランス始めいろんな国で選挙が行われるけど、どの国も今よりは内向きな結果になるのではないか。
時代の流れはまた自由貿易とか国際協調の流れにはならない予感がする。
なんとなく経済中心のここ数十年で、グローバル企業が、スタバが鳥取にもできたみたいに、普遍的な存在になりつつある。
経済のことを考えるのに、最終的には哲学というのか、思想は不可欠なものだと思っている。
これから僕等が学ぶ必要なのは政治についてちゃんと学ぶことなのではないかな。
日本はどういう国であり、どうあるべきなのか。
日本では表だって違う国の人が入ってこないから考える契機はあまりないだろうけど、中国人が日本の土地を買っているとか、水資源を抑え始めているとかの噂ある。
それらが実際に目の前に大きな事実として現れた時、日本もアメリカと同じような方向に流れていくことは目に見えている。
分からないものに対する畏怖というのは誰しも当たり前に持つ感情で、金融とかいろんなことが複雑になってるから、それらをちゃんと説明できるようになることはこれまで以上に大事になってくる。
じゃないと、もし日本が同じような状況に出くわした時に、分断を招いてしまう。
今の僕はおそらく消費税だって、TPPだってまともに説明できやしない。
国論を二分するとか、そういうことだけど、それてつまりは自分たちの周りが割れるってこと。
「隠れトランプ」ということが起こったということを忘れてはいけない。
2016.11.10
こばやし
芯
日に日に寒くなってくる。
前々から小説っぽいものを書けたら楽しいんだろうなあて思ってはいるものの、そのたびに偉大な小説と対面して、まあ読んで楽しければいいか、って諦める、その繰り返し。
なんだかんだ歴史小説は好きだけど、どこかお堅い感じがあり、つい読みやすそうな小説を選んでしまうから、「いつまでも同じこと繰り返してもつまらないだろ」と言い聞かせて読むことにした。
歴史小説って、その時代背景知らないと楽しめないんじゃないかとか、思っちゃうとっ本当に読めなくなるから、そう思う気持ちをいかに振り切れるかというのが本当に課題。
『燃えよ剣』は大河ドラマでも題材で取り上げた新選組の副組長・土方歳三をメインにその生き様を描いている小説なんだけど、幸いこの時代は苦手としてないので読みやすかった(室町とか院政期は本当に困る)。
福山雅治が主演した『龍馬伝』(高校時代、これで散々ふざけたな)を見ていたこともあり、僕の中では明治維新期は比較的イメージしやすい時代なのだと思う。
テレビの力は偉大なんだな(笑)
そういえば真木よう子ファンになったのは『龍馬伝』の影響でしょうな(笑)
今となっては歴女の間でも人気の高い新選組なんだろうけど、高校の日本史では取り上げられることは少ないので、いわゆる日本史のメインプレーヤーではないのだと思っている。
まあ簡単にいえば町の治安維持していたら、主人が変わって、それは受け入れられないから、反抗したという感じだから、仕方ないのか。
新しい世が受け入れられない、つまり旧来の生き方を貫いたと見れば、海外の人の日本のイメージはSAMURAIだという本当か嘘か分からない話があるけれど、明治維新期は武士の最後の時代を生きた人=土方歳三とも見ることが出来る。
この小説から、明治維新期の時代の振動を描きつつ、武士としての生き方を貫く土方歳三の信念を感じた。
明治維新期には一つの断絶があって、現在とは文化も精神も、それ以前とは全く異なように見える。
福沢諭吉は『文明論之概略』の中で、文明を進歩させるのには外面は西洋の模倣でも構わないが精神、国の気風は失ってはいけないとのことを書いているけれども、
さて、今の僕たちは建国2600、700年(神武天皇の即位から)といわれる日本の精神を受け継いでいるのだろうか。
海外行く度に、僕は日本にいたいと思ってしまうんだけど、自分のどこにそんな日本を愛するところがあるのかを、ちゃんと言葉で考えてみたら、もしかしたら先祖から渡されてきた日本人らしさにたどり着くのかな。
これから恐らく日本らしさとは何かということを一票という形で表明しなければならない時が来る。
その時にちゃんと応えを持っていなければならないと思っている。
『燃えよ剣』。
2016.11.8
こばやし
黙
なんとなく書こうという気になり、こうしてパソコンでカタカタしているけど、何も書きたいことが浮かばない。
だからこそ何を書こうと思うのか楽しみでこうして書くことにいたのだから当たり前なのだけど。
自分の身の周りで書けそうなことはたくさんあるんだけど、なんともまとまりきらないものばかりだから、踏ん切りがつかない。
アメリカ大統領選挙が四日後に行われますね。連日ニュースになってますがクリントンさんの私用メールの話、たしかに問題であるとは思うけれど、もしこれが日本だったらトランプさんの女性や民族蔑視の発言の方が大きく取り上げられて、メール問題なんぞはそれに比べれば小さな影響しかないと思う。
まあ韓国の話も似たり寄ったりで、情報のあり方が変わってきているのかなあ、と感じる。
アメリカ大統領選挙の話だけど、日本のメディアではトランプ批判を主に目にする機会が多い。
たいていの場合、内容は似たり寄ったりで読む前におおまかな内容は予想がつく。
日本とアメリカの関係は、クリントンさんにしろ、トランプさんにしろ、どのみち変わる。
少し気がかりなのは、トランプさんが大統領になった場合に日本の自称“自主”憲法を制定したい人達がこぞって改憲!改憲!と盛り上がりそうなきがすること。
偉大なアメリカを再構築して、連帯が切れていくと、どこの国も偉大な国を目指していきそうで怖い。
つい半年前ぐらいだったけな、“帰ってきたヒトラー”という小説・映画が話題になった。
この話、簡単にいうと、現代にヒトラーがタイムワープし、変な人ということからTVに取り上げられ、世間に知られていく、というお話。
映画も非常に面白かった。
よくよく考えてみるとトランプさんってこれに近い。(笑)
すごいタイムリー。
今回の大統領選挙、人気がない、だとか、人材がいない、とか言われている。
イギリスもそんな感じだし、これからどうなっていくんだろうか。
つぎの大統領、思いのほか自分たちにも大きな影響が出そうな予感がする。
第二次世界大戦が終わって71年。
僕等世代が特にだけど、また政治に社会が大きく関心を持つようになってきている。
明日、地元の図書館にでも行こうかな。
読みたい本が何冊か出てきたし。
2016.11.05
こばやし
雑感そのいち
昨日は文化の日。
憲法公布から70年の節目の日。
憲法の存在を感じるのは新聞などメディアを見る時か、冗談で「表現の自由だ!」とかいうぐらいなので、こういうお休みの日は大事なもんだなあと感じた。
Khcoderという解析ツールがあって(無料だよ)文章の解析をしてくれるんだけど、いつか使いこなしたら自分の文章を解析にかけて遊ぼうかな。
恐らく、思うとか、感じますとかが多いかと。
なんかつい使ってしまう(笑)
いつだっけ。一週間ぐらい前かな。
天声人語に「おもう」の使い方について触れていた日があった。小学校とか中学校でどう教わったか覚えてないけれど、いつからか「おもう」は「思う」に統一された。
思う、想う、懐う、念うなどなど。昔はいろんな「おもう」があった。
確かに、昔のことをおもう時と、好きな人をおもう時と、考え的なおもうでは似て非なるものだよなあ。
いつの間に一つに統一されちゃったけど、その中の細かい使い分けを、言葉とか漢字でちゃんと表現できたら、とおもう。
何年か前に亡くなられた児玉清さんは海外ものの小説を早く読みたいばかりに原文で読むほど、本が好きだったという。そんな児玉さんが著書の中で、英語のすばらしさは奥が深いことだと述べられていた。
簡潔になることは良いことなのだろうか。最近の僕の日本語の使い方はあまり良くない気がしてきた。
(^_^)/
二三日前、ちょっと前に話題になった(いや今もか)「何者」を観た。
初めて新宿のTOHOで見たのだけれど、いやー他人事じゃないよなあああ。
内容には触れられないけれど、楽しめたというよりは他人事じゃない!っていうひっ迫感が何とも言えず、純粋に映画を楽しめたかというとあやしい。(笑)
ただ「就活」っていうなんともイマイチな印象のイベントが映画なるほどドラマチックなイベントだということが分かったから、それなりに良かったのか(笑)
そういや、この映画見た日の前にいったTOHOの横の“アジア横丁”なる屋上にアジア系の居酒屋が集まっているところ、めっちゃ面白かったよ。
めちゃくちゃ広いのに、エレベーター一つしかなくて、条例ひっかかるだろ!って感じの場所なんだけど、海外もののビール飲める店ってちょっとおしゃれというか、そんな感じだから、また違う方面でお店を知れて、ひとつ収穫。
いつも通りなんだろうけど、思い立って友人に電話してみたんだけど、“今年は~だったあ”って言ってたな。
もう一年を総括する時期に来てるか?!?!ってその時は思っていたけれど、よくよく振り返ると10ヶ月パスして来ちゃったのね。
今年は、、、、いやまだ振り返らないわ(笑)世の中で一番何もなさそうな状況にあるけど、これからまだまだある予感がするから。
まあその一つは体重が増えて別人になるというもの。
毎日体重計測しているんだけど、いよいよ73キロ台を推移するようになってしまった。
あれ、半年前は68キロとかじゃなかったけな???って思ってデータ振り返ってみたら、トレセンの計測器で68キロ、体脂肪率8%でデータがあった。
あの時はハーフマラソン目指してトレーニングしていたからだけど、って言い訳は禁物だな。
ウサギと亀の話を思い出してしまう。
年度末に練馬でハーフマラソンがあるから、出ようぜーってもうそろそろLINEしなきゃな、申込みいつだったけか。
体重に危機感を覚えて、昨日からランニング始めた。数字見ないといまいち把握できないけど、たしかに横腹に肉が付いてきた感じがある。
太るのは悪いことではないんだけど、おなかに肉溜まってくるのはちょっとなあ。
札幌はもう根雪なのかな。
SNSをだいぶ見ていないから分からないけど、例年通りだともう積もってたっけか。
札幌だったら外でランニングできないから、太るばかりだったろうな。(笑)
まあいうほど気にはしていないけど、肉体まで丸くなったらもうどうしようもないからトレーニングして、締め直すか。
札幌に一時戻る日まであと一か月ばかり。
春秋航空が7日にきゃんぺーんやるから、そこで決めようか。
この一か月は八月の一か月より変化がある手ごたえがないから、ちょっと札幌もどって何かしら変化を感じれたら収穫だな。
せっかくのクリスマス時期だし、サンタ仮装でなんかやりたいな(笑)
2016.11.04
こばやし
蟻
「蟻とキリギリス」の話は誰しも聞いたことある話。
夏に働き、冬のたくわえをする蟻と、夏を謳歌し、冬に食べ物がなくなり、それを蟻に助けてもらおうとするが、断られてしまうキリギリス。
簡単に見ると、一時の享楽に溺れず、将来を俯瞰し計画を立てるのが大事ですよという教訓を教えてくれる物語。
ここで少し違う点から。
蟻とキリギリス、どっちが生物として優秀なんだろうか。
この話を見ると、蟻の方が断然賢いけれども、僕らからみたら、どちらも昆虫であり大して変わらないと思うのではないだろうか。
では、
人と蟻、どちらが優秀だろうか。
これは言わずもがな“人”というのがほとんどの回答だと予想できる。
さて、本当にそうなのだろうか。
というのが最近考えること。(笑)
この前「モーガンフリーマン 時空を超えて」というNHKの番組を見ていて、そこで紹介していたのが、
“蟻一匹一匹が人間でいう脳の神経のような働きをして、組織として一つの脳の働きをもっている”というもの。
僕はこれまで蟻に対して全体として一つの生物には見ていなかった。
蟻は自らが持っている習性によって巣を作り、生きているものだと。
ただ確かによくよく考えてみると、全体として一つの生物だ考えてみたら面白い。
これを人で考えてみると、ネットの世界はこれに当たるわけで、瞬時に世界中の人の頭をつなぎ全体として物事の判断を決しているように見える。
リーマンショックは予測不可能だったと言われているけれども、この考え方で見たら、その通り、予測できるはずがない。
アダムスミスの“神の見えざる手”はこの話と近いのだと思う。
僕ら一人一人の意志とは違うところでネットに繋がれて生まれた“全体=神”が判断し進んでいく。
コミュニケーション速度が速くなったことで、より明確にその傾向は強くなってきているのだろうね。
身近な生物の生態から、人間社会を考えるということが役に立つとはこれまであまり考えなかったことだけれども、番組を見てなるほど、と思った。
蟻は実は人間よりずっと優れた生物なのかもしれない。
言葉でコミュニケーションをとるのが人間のやり方だけれども、このコミュニケーションの方法を用いている生物は実は少数で、非効率なやり方なのかもしれない。
番組では将来は脳波をつかったテレパシーで意思疎通ができる、という話が出ていた。
ほんと、SFでしょ!みたいなツッコミを入れたくなる番組なんだけど、見終わるといつも“ありえるかもな”って思うのが何とも言えない(笑)
人間社会ができて一万年ぐらいだけど、こんなの地球と比べれば一瞬。
これ聞くと“ん?”と思うけど、いつかこれに歓喜する時がくるのだろうかな。
2016.11.1
こばやし
隣
村上春樹が何年か前に書いた「1Q84」の中で「猫の町」という小説が登場する。
ある日、電車に乗って途中下車して降りた駅は夜に猫が支配する街、そこでは毎晩毎晩猫が生き、、、、みたいな話だったはず。
僕が初めて「1Q84」を読んだのは大学一年生の時だったから、かれこれ3年前ぐらいかな。
高校の進路相談会手伝った謝礼で買ったんだっけな。
まさかこのタイミングでこの話が思いだすとは思わなかったんだけど、今日の朝、それを思い出させることがあったんですよね。
今日の早朝、夜明け前、何時だったか、多分3時とか4時ぐらい。
なぜか猫の鳴き声で起こされた。
うちの近くには野良猫がちらほらいるんだけど、どうもその猫たちが騒いでるらしかった。
にゃーにゃーにゃーにゃー、うるさいんだ、これが。
ただ、子猫のようなかわいい声じゃなくて、甲高い悲鳴に近い声だった。
そんなんだから寝ようとしても寝れなくて、どんな様子か見てみました。
そしたらこんな感じね。
「うわー、『猫の町』の世界だー」ってね。
つい自分の部屋からカメラだして、写真撮って。
前回、新宿の写真のことを書いたから、その次になんでもない写真を乗っけるのは考えることがあるけど、まあいいか。(笑)
僕は考えすぎるのが趣味だから、ただ美しい写真撮って、どっかにあげて、瞬時に何かしらのリアクションもらうのはどうも気が引けるね。
美しいってつい書いたけど、みんなが知ってるような「美しいモノ」に対して、ちゃんと自信をもって写真がとれているわけではないからかな。
いつだったか、夏前に札幌で人の写真撮れる機会があったんだけど、どうも自信なくてふいにしたんだけど、イメージはあるのに撮れないのは本当に悔しい。
スマホとかの性能の向上で画質が一眼とほぼ変わらなくなってきた中で、わざわざそれと同じようなものは撮りたくないし(出したくはないか)、結構多くの人が写真を趣味にしている中で、せっかく出すなら、そこと同じでもつまらないしね。
対価もらっているわけではないのだから、好きにやればいいのではないのか、というのは一理あるけれども、やりたいことはただ写真撮って保存して、気が向いた時に見返して、というために撮りたいわけじゃないから、仕方ない。(笑)
最近、いわゆる理系的なことを勉強しているのだけれども、これまで文系的なことをやっていたから、つい人間が絶対でその枠の中で考えてきたけど、その幅が地球とか生き物とかに広がってきて、なんか楽しい。
これまで自分がなんで熱をもっているのかとか考えてこなかったからね。
それとともにいかに人間中心のばかりかと。
人間は可視光線しか見えていない。この外にある光なんて山ほどあるのにね。
ほんと不思議なことだらけだなあ、と。
なんとなくだけど、大きく理系は「地球」を扱って、文系は「世界」を扱っているんだなあと理解しています。情報系とかあるけど、極端な話。
今日の朝、猫たちを撮ったのは、僕らと猫の接点というか、猫たちがイキイキしている時間、空間を垣間見たからからかもしれない。
いい感じに感性を変えれればもっと撮りたいものが撮れるはず。
2016.10.30
こばやし